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平原郡 (山東省)[へいげんぐん] 平原郡(へいげんぐん)は、現在の中華人民共和国山東省徳州市平原県を中心とした地域に置かれた古代の郡。
== 歴史 == 春秋時代には斉の支配下にあって「平原邑」と呼称したが、戦国時代に趙に支配権が移り、恵文王の実弟・趙勝が封じられて「平原君」と呼ばれた。後に秦がこの地に平原県を設置し、更に前漢では平原郡を後漢では平原国を設置して青州に帰属させた。だが、その後後漢末に曹操が自己の勢力拡大のために平原を冀州に編入し直している。その間には斉王田栄が項羽に敗れてこの地で住民に殺され、黄巾の乱後には劉備が公孫瓚の推挙で平原国の相に就任している。 北魏の時代に平原郡を聊城県に移して後に平原郡・平原県を廃したが、北斉が平原県を復活させて渤海郡・安徳郡に属させるなど複雑な変遷を辿るが、隋朝が成立すると陵県を郡治とする平原郡を復活された。後にこれを徳州と改称して郡治を徳県に移されたが、607年(大業3年)に郡制が採用されると徳州は平原郡と改められた。唐代には徳州と改称され平原郡の行政区画名は消滅した 安史の乱の時に顔真卿が守護した平原城は徳県にあったものである。一方、平原県は北斉の再置以来の同一名称・場所に継続して置かれている。
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